トップ 古賀で働く 株式会社増田桐箱店 藤井様

WORK

2023.10.06

古賀から世界へ。90年以上続く桐箱事業と伝統工芸を次世代につなぐ担い手に。

ものづくり
1929年に創業し、古賀市に本社と工場を構える「増田桐箱店」。3代目社長の藤井博文さんは、従来の桐箱にとどまらず、オリジナル商品を開発して幅広い世代や海外まで販路を広げつつ、新たな事業も展開しています。会社の事業や古賀市の魅力などについて話を聞きました。

―増田桐箱店の始まりから聞かせてください。

創業したのは私の曾祖父です。曾祖父はもともと広島で親戚が経営する桐箱の会社で働いていて、博多織が普及して桐箱の需要が高まるタイミングで福岡へ来て、この会社を立ち上げたそうです。その後、祖父が社長を継ぎ、私で3代目になります。

―子どもの頃から跡継ぎを意識していたのですか?

いえいえ、特にそんなことはなく、高校卒業後に台湾に留学していたところ、祖父が台湾に遊びに来て「後継者がいないのでやらないか」と誘われて。いきなり社長候補ですから、ラッキーですよね(笑)。20歳で入社し、2013年24歳で社長になりました。

―2029年には創業100周年ですね。会社の変遷を教えてください。

曽祖父が起業し、祖父の代で日本全国へ桐箱を売るまで事業拡大しました。僕が代表になったタイミングで、2か所あった工場を統合してここに新築。また、商品や業務を見直し、デザイナーとコラボしてオリジナル商品の開発をスタートしました。

―桐箱はどんなところで使われているのでしょう?

デパートで売られている高級品は、だいたい桐箱に入っています。地下のお酒やお菓子、果物から、貴金属、アパレル、扇子、線香、呉服、着物、グラス、美術工芸品など、さまざまところで使われています。

―言われてみればいろいろありますね。全国で販売されているということは、桐箱メーカーとしては大きい方ですか?

おそらく日本で一番規模が大きいと思います。そうめんの箱や酒の箱など、小規模で専門的にやっている桐箱屋さんはありますが、総合的に手がけるところは珍しいんですよ。

―すごい、日本一で事業承継されたのですか。ただその時点では、ものを入れるための桐箱を作られていたと。

主役は中身で、脇役の桐箱を作っていました。継いだ時点で日本一の規模でしたが、「短納期で安くいいものを」という下請け体質があり、収益性が高いとはいいがたい事業モデルでした。それに、同級生に「社長になったんよね」と伝えても「桐箱?何それ?」という反応で、ニッチだと認知されないなと。同級生に自慢できる、桐が主役になる商品を作りたくて、新規事業を始めました。

―桐が主役になる商品ですか。

桐箱は中身が売れて初めて出番があるけど、自分たちが商品を作ればそれが売り場に並び、会社のことも知ってもらえる。デザイナーさんと相談して、まずは桐の調湿・防虫効果を生かして米びつを作りました。中が見えて、計量カップがマグネットでフタにとまります。今どきのライフスタイルに合わせて開発した結果、初年度に1万個ほど売れました。もともとロフトやハンズなどBtoBの多様な販売チャンネルを持っていたことが功を奏しました。

桐の調湿・防虫効果を生かして製作した米びつは計量カップがマグネットでフタにとまる

―それからどう展開されたのでしょう?

今はオリジナルアイテムが100ほどになり、中でも本を立てるブックエンドと米びつがコンスタントによく売れています。たまたま私が台湾で中国語をマスターしていたので、2年目から台湾への輸出も始めて、今は世界10か国以上に出しています。控えめな価格のためあまり儲かりませんが、国内外に商品が行って、社名や桐の特性などを広めてくれるおかげで知名度が上がり、営業せずに海外から仕事をいただけるようになりました。

パスタなど食物保存用の桐箱やブックスタンドはじめ生み出している様々なオリジナルアイテム

―商品開発によって、どんな変化がありましたか?

自分たちの商品がメディアに紹介されて会社の認知度が上がりました。仕事を選べるようになり、下請け体質から脱却できたのは大きいですね。売上の2割近くがオリジナル商品で、桐箱の需要も高まって、会社全体の売上は右肩上がりです。

―古賀で世界を相手に仕事ができるなんて、ワクワクします。今後の展望を聞かせてください。

オリジナル商品のラインナップを増やしつつ、輸出先の国に合わせた商品開発に力を入れていきます。例えば、パンの箱一つとっても、国によってパンの形や特徴が違うので。あとは、木工工芸の業界を守っていくために、後継者のいない同業者のM&Aもしています。
ほかにも、陶芸家の人たちが仕事をしやすくなるように流通をサポートしたり、今年社内ベンチャーでアプリ開発の会社を立ち上げて、人間国宝のようなものづくりの人たちの業務がスムーズになるようなDXのアプリを販売したりしています。そのデータ入力作業は、障害者の福祉事業所にお願いしています。

―桐箱から事業が広がっているのですね。ちなみに、古賀市に会社があるメリットは?

古賀市は物流環境が抜群で、高速のインターチェンジがあり、運送会社が多い。それに、商工会のサポートが非常に手厚いのも魅力です。僕は20歳で入社して、事業承継から新規事業の開発、海外展開など、いろいろと関わってもらいました。古賀はほどよく田舎というのもあり、顔が見える関係性でサポートしてもらえるのが大きなメリットだと思います。お世話になってきたので、実は今、商工会の会長をしているんですよ。

―え、30代で商工会の会長というのは聞いたことがありません。

僕が知る限りでは最年少です。会長の立場から見ると、物価の安さが古賀の魅力だと感じます。近隣の市とよく比較されますが、古賀は駅前に長年やっているお店が多くて、コロナ禍で撤退した飲食店は廃業したスナック1件だけ。家賃や物価が安く、みんなで応援し合えるのがいいですね。
僕が社長になったときも、他の社長たちが飲みに連れて行ってくれて、何でも聞くことができました。古賀にいるおかげで、会社も僕自身も成長できる機会がすごく多かったと思います。
ここ数年は市としても新たな取り組みが増えてきて、フレッシュな風が吹き、市民の満足度が高まっていると思います。生活する場としてもおすすめできます。

本社1階にある工場で黙々と作業されていたスタッフのみなさん

―御社のホームページに求人情報が掲載されています。どんな人に来てほしいですか?

商人(営業職)と匠(製造技術職)の募集を出していますが、うちの会社にカッチリした枠はありません。今、進めているDXの事業も「DXができます」という人が応募してきてくれたので始めた事業で、関東在住で働いている人もいます。
増田桐箱店が90年以上にわたって培ってきたリソースを活かせば、多種多様な事業ができると考えています。桐箱や伝統工芸を次世代につないでいく使命感は持ちつつ、柔軟にいろいろなことにチャレンジしていくためにも、多様な人を受け入れていきたいです。

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