トップ 古賀で働く 有限会社許山酒販 許山様

WORK

2023.10.06

独自のセレクトで「お酒を愉しむきっかけ」を提供。西口エリアを文化の交流地に。

小売店
JR古賀駅西口から歩いて1分、レンガの壁にお酒のレトロな看板が目を引く「ノミヤマ酒販」。創業は明治21年で、135年にわたってこの地の変遷を見守ってきました。6代目の許山(のみやま)浩平さんは店のスタイルをガラリと変えて、商店街の活性化事業にも主体的に関わっています。「実は、家業を継ぐつもりも地元愛もなかったんですよ」と打ち明ける許山さんは、なぜ地元に根差して活動することになったのか。じっくり話を聞きました。

―許山さんは古賀市出身で、高校卒業後もずっと福岡で暮らしてきたのですか?

はい、福岡大学に進学しました。大学時代は競技スキー部でクロスカントリーに熱中し、2年生で国体への出場を果たしました。子どもの頃から野球を9年続けても全然日の目を見なかったのに、競技人口が少ないスポーツで、得意だった長距離走を生かして努力したことで結果を出すことができました。
スキーはお金がかかるので、マクドナルドでアルバイトも始めました。そこでも真面目にやっていたら、日本マクドナルドが開催するサービス部門の大会で約14万人から5人まで残り、全国大会に出場しました。これらの経験から、努力が実る環境とやり方が大事なのだと実感し、この考えが今も自分のベースになっています。

―大学生活は充実していたのですね。卒業後は?

バイト先のオーナーから誘われて、マクドナルドのフランチャイジーに入社しました。25歳のとき、福岡県では当時最年少で店長に昇格。それから各店の改善業務に関わり、仕事に没頭していました。ただ、人に指示されるのではなく、自分で覚悟を持って何かする方が性に合っているので、ゆくゆくは自分で会社を作りたいという思いが強かったです。

―老舗の家業を継ぐ気持ちはなかったのですか?

全然なかったんですよ。4人兄弟の長男ですが、誰かが継ぐだろうと思っていました。それが30歳のとき、父が病気になってお見舞いに行くと「あとは頼んだ」と言われて。これまでろくに親孝行もできなかったから、やろうと決めました。2017年のことです。

―急展開ですね。ノミヤマ酒販は創業135年とのこと、ずっと酒屋さんだったのですか?

明治21(1888)年に質屋のような事業からスタートして、昭和40(1965)年には許山酒販として酒類を専門に扱うように。それから父の代まではスーパーやコンビニ、ドラッグストアなどでも販売している一般的なディスカウントのお酒を販売していました。
僕に任された時点で、99%が飲食店への卸でした。継ぐのにあたり、車で10分圏内のスーパーやドラッグストアなどで同じ銘柄のビールの価格を調べたところ、うちの仕入れより安いところが2店あったんです。これではかなわないし、そもそも僕自身が大手のお酒に魅力を感じなくて。それで思い切って方向転換しました。

―どのように変えたのでしょう?

小規模な作り手さんの、顔の見えるお酒を販売したいと考えました。福岡の有名な「とどろき酒店」を訪ねて学ばせてもらったり、こだわりの飲食店でいいお酒と食事を味わったりして、自分がおいしいと思うものや好きなものを仕入れるスタイルに。独自のセレクトでお客様にお酒をつなぎ、「お酒を愉しむきっかけを提供する」ことをコンセプトとして、2018年には店舗をリニューアルしました。

―ラインナップが豊富で、今お話を伺っている間にもお客さんが続々と来店されますね。

日本酒と焼酎、ワインをメインに、最近はビールも置いています。今は飲食店への卸が7割ほどで、あとは一般のお客さんが買いに来てくださるようになりました。福岡市や福津市、宗像市など市外からわざわざ来店される方が多いんですよ。角打ちスペースもあって、女性ひとりでもお子さん連れでも気軽に来られる店づくりを目指しています。

―どんな人が働いているのでしょうか?

僕の父母と地元のスタッフ、Uターンしてアルバイトで働いてくれている人たちもいます。今はちょうど金土曜に入ってくれるアルバイトスタッフを募集していて、店の方向性に共感いただける方とご縁があるとうれしいです。

―許山さんは商店街の活性化にも関わっているとのこと。地元を盛り上げたいという思いがあったのですか?

いえいえ、それが全くなくて…。でも、お酒を求めて地方の小さな蔵をめぐっていると、どんな地域でも作り手の方はその土地に誇りを持ち、いろいろと話してくださるんです。その姿がすごくかっこよくて、自分が恥ずかしくなりました。
それに、子どもが生まれたことも大きいですね。僕はずっと地元に目を向けていなかったけど、子どもたちには地元に興味を持ってほしいし、住んで楽しいところ、自慢できるところにしたいと思いました。

仕込み蔵の中に絵画が飾ってある鹿児島の白石酒造さん

―株式会社ヨンダブルディーの取締役を務められています。改めて会社のことや関わることになった経緯を教えてください。

もともとは商店街の再生事業で有名な木藤亮太さんの会社ホーホゥが、JR古賀駅西口エリア活性化に向けたマネジメント支援業務を市から委託していました。2020年から22年度で委託が終了するのにあたり、その後も継続して取り組みを進めるために設立したのがヨンダブルディーです。僕は誘われて取締役になり、4人で2022年2月に立ち上げました。覚悟を持ち、借金を背負ってやっているんですよ。

―どんなことをする会社ですか?

JR古賀駅西口エリアの活性化に取り組むエリアマネジメントカンパニーです。今年5月にはうちの店から歩いてすぐのところに食の交流拠点「るるるる」をオープンして、運営しています。日替わりの飲食店やセレクトした雑貨などがそろい、いろいろな人が集まって交流し、新たなつながりもどんどん生まれています。みんなに愛される場所にしていきたいです。
ただ、そこだけが盛り上がればいいわけではなく、エリアや市全体がにぎやかになることを目指しています。るるるるでイベントをしたときは、近隣のお店にもお客さんがたくさん来たと喜ばれて、とてもうれしかったです。

JR古賀駅西口エリアに2023年5月にオープンした食の交流拠点「るるるる」

―古賀市の魅力はどんなところでしょう?

距離感でしょうか。利便性のいいベッドタウンで、車のインターがあり、博多や他のまちへのアクセスがよく、自然が身近にある。人と人の距離もほどよく近い。駅前を歩いて回遊できる距離感も魅力です。

―最後に、許山さんが注力している古賀駅前エリアがをどうしていきたいか聞かせてください。

父が子どもの頃、うちの店あたりはにぎやかな商店街で、映画館もあったそうです。今はマンションが増えて商店街らしくないのですが、だからこそほかの商店街とは違うオリジナルの形を作れるのではないかと期待しています。
駅の東口は開発が決まり、東口が文明的になるなら、西口は文化的なところにしたい。古賀市には九州最大級のスケボーパークがあるので、西口のスペースでスケボー大会をしてはどうかと市に提案したところ、11月に子どもたちのスケボー大会と教室を開催することになりました。
地元に帰ってきて活動する中で、気の合う友だちができたこともうれしい。これからもさまざまな人たちと一緒にワクワクすることをやっていきたいです。

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